Nuclear Abolition News and Analysis

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TOWARD A NUCLEAR FREE WORLD was first launched in 2009 with a view to raising and strengthening public awareness of the urgent need for non-proliferation and ushering in a world free of nuclear weapons. Read more

IDN Global News

Extinguishing Prometheus’ Nuclear Flame: International Day Against Nuclear Tests

|核実験禁止国際デー|プロメテウスの核の炎を消す

 Collage of photos of the author in his IAEA capacity at the Semipalatinsk “polygon” on 29 August 2011, with ‘Stronger than Death’ monument in Semey in the centre. It was erected in 2001 in memory of the victims of nuclear testing at Semipalatinsk. Photos by Tariq Rauf.【ウィーンIDN=タリク・ラウフ】

1945年7月16日、米国ニューメキシコ州のアラモゴード実験場で、世界初の核爆発装置が爆発した。米国は続けて、8月6日と9日に広島と長崎への原爆攻撃を実行した。それから70年で、さらに9つの国が約2060回の核爆発実験を行い、大気や陸上、宇宙、世界の海で放射能汚染をまき散らし、数多くの罪なき人々の健康に永続的かつ壊滅的な被害をもたらしてきた。

1945年に開始された米ソ間の核軍拡競争の不可避の帰結として、ソ連はカザフスタン東部のデゲレン山と周りのステップ地域に世界最大のセミパラチンスク核実験場(通称ポリゴン)を設置した。ここでは、ソ連が初の核実験を行った1949年8月29日から1989年2月12日に至る40年の間に、456回もの核実験が行われた。これによって、100万人以上の健康が損なわれ、数千ヘクタールの土地が放射能によって汚染されて、数百年にわたって危険で利用不可能な土地になってしまった。中国・フランス・英国・米国の場合も、アルジェリアからオーストラリア、南太平洋の海や島々、ネバダ実験場、北極のノバヤゼムリャに至る場所で、同じような運命が待ち受けていた。

悪名高い核爆発実験は、米国が1030回、ソ連が715回、フランスが210回、中国と英国がそれぞれ45回、インドと北朝鮮、パキスタンがそれぞれ6回、イスラエルが少なくとも1回行っている。2060回の核爆発のうち、529回が大気中、約1500回が地上・地下・水中で実施された。500回以上に及んだ大気圏核爆発実験によって、北半球の人口全体が放射性セシウムに被爆したと推定されている。そしてこの汚染は、次の世代にも継承されると考えられている。

遺伝子や環境に悲惨な影響を及ぼす核爆発実験の最大の被害者はカザフスタンの住民であった。そこで、1990年10月に核実験の一時停止方針を発表していたソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領に対して、セミパラチンスク実験場を永久に閉鎖し使用中止にするよう説得する責任が、カザフスタンの当時のリーダーであったヌルスルタン・ナザルバエフ氏に課せられることになった。

ナザルバエフ大統領がリーダーシップを発揮してセミパラチンスク核実験場を恒久閉鎖し核兵器を放棄したことが、あらゆる空間での核爆発実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)の協議(1996年)につながった。CTBTは、地下以外での核実験を禁止した部分的核実験禁止条約(PTBT、1963年)によって始まった核実験禁止の流れを完成させた。

セミパラチンスク核実験場の閉鎖とソ連の核実験停止を受けて、米国も1992年に核実験停止を発表した。後に大きな影響を与える1995年の核不拡散条約再検討・延長会議では条約の無期限延長に合意したが、それには条件があった。それは1996年までにCTBTの交渉を妥結するというものであった。残念なことに、カザフスタンが示した模範に反して、まったく無意味な核実験を中国とフランスが1996年に再開した。両国は厳しい国際的圧力を受けてようやく実験停止を発表し、その年の9月にCTBTに署名した。

1996年9月にCTBTが署名開放されて以降では、3つの国が、核実験の一時停止方針に反して核実験を実施した。1998年5月、インドが5回の核爆発実験を行ったと発表し核軍備管理上の文脈下で再び「ならず者国家」となった。1974年5月にインドが、カナダと米国に対して核不拡散を公約しておきながら、初の核実験を強行したことを思い出すとよい。結果として、持続不可能な安全保障状況が南アジアで生まれ、パキスタンが1998年5月に(インドの実験回数と同じ)6回の核実験を行った。そして2006年、北朝鮮が核装置を爆発させ、その後11年でさらに5回の核爆発実験を行っている。インド・北朝鮮・パキスタンの3カ国はいずれも、CTBTに署名していない!

1996年にCTBTが国連総会で採択されると、発効に向けて批准を要する44カ国のうち36カ国が条約を批准している(フランス・ロシア・英国を含む)。残念なことに、南アジアでの1998年の核実験から1年を満たずして、米上院がCTBTの批准を拒否するという「蛮行」に出た。これまで、こうした意思表明を行った国はどこもないのである。CTBTが採択されてから、今や24年が経過したが、残り6カ国の批准を待つ間に条約は弱体化してしまった。新たな核軍拡競争に火が付き、CTBTが核兵器禁止条約(TPNW)に取って代わられる中で、CTBT発効の見通しは毎年低くなっている。

 

カザフスタンの役割

核実験を法的に禁止するCTBTを発効に導くリーダーシップが不在の中、1995年、2000年、2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で加盟国が行った核軍縮への約束が破られ、核戦争のリスクがますます高まり、核兵器の使用が人間に壊滅的な被害をもたらすとの認識が高まる中、カザフスタンは、ナザルバエフ初代大統領のリーダーシップの下で、核の危険を低減し、核不拡散と核軍縮を強化する漸進的なステップを取り続けている。

カザフスタンは、1991年の独立以来、核不拡散・核軍縮に向けた重要な措置を取ってきた。例えば、▽1410発の戦略核兵器(104基の大陸間弾道ミサイルSS-18と、空中発射巡航ミサイルを搭載した40機の戦略爆撃機Tu-95)と戦術核兵器(数量不明)の解体に向けたロシアへの返却(1995年4月)▽ウルバ冶金工場(UMP)で生産された約600キロの兵器級高濃縮ウランの米国への移転▽マンギシュラク原子力複合施設で生産された2900キロの核燃料(濃縮度最大26%のU-235)をIAEAの保障措置の下で民生利用するための、低濃縮ウランへの希釈▽残留プルトニウムを封じ込めるための、セメイ(旧セミパラチンスク)核実験場の13本の坑道と181本のトンネルの恒久的閉鎖▽非核兵器国としてNPTに加盟▽PTBT、CTBT、核兵器禁止条約の批准▽中央アジア非核兵器地帯の創設▽IAEAの保障措置に関して追加議定書に合意▽CTBT発効促進会議への支援▽核兵器の禁止と廃絶に向けた「人道の誓い」への参加▽IAEA低濃縮ウラン備蓄バンクをオスケメン(ウスト・カメノゴルスク)に招致、といったことが挙げられる。

カザフスタンの提案に従って2009年12月2日に国連総会が全会一致で可決した決議64/35は、8月29日を「核実験反対国際デー」とすることを決めた。

2010年以来、セミパラチンスク核実験場が1991年に閉鎖された日である8月29日は毎年、「核実験反対国際デー」とされており、「核爆発実験やその他の核爆発の影響と、核兵器なき世界という目標を達成するひとつの方法として核爆発をやめる必要性について」意識を喚起し教育を推進するための日となっている。

今年の国際デーは、人類初の核実験と核兵器使用(1945年7月~8月)から75年、さらには、セミパラチンスク核実験場閉鎖から30周年(2021年)の前年に当たるということだけではなく、今年初めに米国が、核爆発実験再開の可能性を匂わせて、核実験のモラトリアム(一時停止)とCTBTを危険にさらしている残念な現状があることからも、重要な意味を持った。

より広範な文脈では、極めて残念なことに、世界には依然として14カ国・107カ所に1万4000発以上の核弾頭と、約2000トンの兵器級核物質(高濃縮ウランとプルトニウム)が存在しているという事実がある。

私は、今年8月29日に、カザフスタンがあらためて核実験と核兵器に反対する声を上げ、次のような緊急の呼びかけをすべきだと考えている。

・核実験のモラトリアムを継続すること。

・CTBTおよび核兵器禁止条約の早期発効の努力を強化すること。

・核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないとの原則を確認した決議を国連総会が採択すること。

・セミパラチンスク核実験場が永久閉鎖された来年の8月29日に、ヌルスルタン(アスタナ)で大きな国際会議を開き、カザフスタンだけではなく世界中の核実験被害者を悼み、その生を称賛すること。

・延期された2020年NPT再検討会議を2022年春にウィーン(オーストリア)で開くよう支持すること(ウィーンには、NPTの原則のうち2つ[核検証/保障措置と、原子力の平和利用における国際協力]をカバーする国際原子力機関と、包括的核実験禁止条約機関準備委員会の本部がある)。

・あらゆる核兵器の廃絶という目標に力を尽くした適切な人物(あるいは団体)に「2021年非核世界・グローバル安全保障ナザルバエフ賞」を授与すること。

核兵器が初めて使用されてから75年、セミパラチンスク核実験場の閉鎖から29年、そして「核実験反対国際デー」開始から10年目の今日、核兵器を削減・廃絶し、「プロメテウスの核の炎」を永久に消すために一致団結して最大限の努力を払うという、世界の人々、とりわけ核兵器の被害者への約束を、改めて誓おうではないか。(08.29.2020) INPS Japan/ IDN-InDepth News

タリク・ラウフ氏は、国際原子力機関(IAEA)核検証・安全保障政策局の元局長、IAEAの「低濃縮ウランバンクおよび核燃料サイクルへの多国間アプローチ」問題に関するコーディネーター、NPTに対するIAEA代表団元団長代理、2015年NPT再検討会議および2014年NPT準備委員会会合議長に対する核軍縮問題上級顧問、カナダNPT代表団専門研究員(2000年まで)を歴任。

 

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